先週土曜日は、高校時代の友人との飲み。久々に高級な鶏と美味いお酒を堪能してしまいました😳
福籠(ふくろう)
その友人(お医者さん)とは久々に飲みに行ったのですが、先日僕が体調不良の時に大学病院への紹介状を書いてもらったお礼と、そもそも友人の開業祝いを個人として出来てなかったので、この日はご馳走させてもらいました。
結構いろんな話で盛り上がったのですが、一つは「なんで開業したのか?」について。
以前話した際には、「大きな病院でやりたいことがある」と言っていたので、開業することを聞いた時には「なんかあったんかな?」と少し心配しました。
実際聞いてみると、中々色んなことがあったみたいで(内容は書きませんが)、僕が聞いても「まぁしゃーないわな」と納得させられましたが・・・。
一方で、勤務医から開業医になるって、素人から見ても中々の「一大決心」に思えます。
実際、諸々の理由で開業を決心するまでに、彼も相当悩んだみたいで、「自分はなぜ医者になったのか?」と言ったかなり「根本的な部分」まで掘り下げて過去を振り返り、価値観や大切にしたいものを改めて明確にした上で「判断」したとのこと。
もちろん、家族の理解があったことや、周囲に彼のことを親身になって心配し「背中を押してくれる」人がいたことも、彼にとっては大きかったのでしょう。
いや、それにしてもすげーわ。
自分でリスクとって事業をやる。僕たちサラリーマンとは全く違う世界に行ってしまいました。
そしてもう一つは、僕のキャリアに関する話題になった時のこと。
僕自身は自分のキャリアについて、
- 今の仕事に満足しているわけではない(※「これ意味あるの?」「なぜこれをしないといけないの?」と思わされる機会が多く、自分の人生を賭してする仕事とは思えない)
- けど、「どうしてもやりたい」と思える仕事を見つけられていない
- 一方で、高い教育を受けさせてもらった自分には、それなりの仕事を通じて社会に貢献する義務がある
という「凝り固まった」考えを持ち合わせています。
特に三つ目。
以前の記事にも書きましたが、僕はいわゆる「旧帝大」を卒業しています。世間的に見れば、まずまず能力もあるし、そこそこ「名の知れた」会社にも勤められています。
そんな自分が、専門的な知識や技術がなくてもできる仕事に就くことは、本当に社会のためになるのか?
「思い上がりだ」というご指摘も受けそうですが、よく考えてしまいます。
子どもがある程度大きくなったら、それなりに資産形成していることもあって、例えばスーパーのレジ打ちやコンビニの店員あたりのバイトをして生きていくことも、おそらく可能なんです。
でもそれでいいのか?
それに対する友人の見解は「どんな仕事をしても成功することになっている」んだそうです。
「仮にKoTaがコンビニの店員をやるとするやん?そしたら多分、言われた仕事だけをして満足することはないと思うねん。んで、きっと色んな改善点を見出していって、それを解決していくような仕事をするはず。何やったら、コンビニ自体を始めちゃうかもね。」
んー、なるほどね。
彼の言葉をもう少し正確に書くと、「どっちにしても成功する」とのこと。
その言葉を信じれば、僕がこの先どんな道を選んでも「成功できる」んやし、あまり小難しく考えず、もっと気楽に「自分の思う道」に進んでも良いのかも知れません。
もちろん家族の理解は得ないといけないですけどね。
また、彼に言わせると、「自分が何をやりたいかなんて、見つからない」とのこと。
医者でも「自分は医者になるんだ」と思ってなった人は、そこまで多くはないみたい。けど、医者として仕事をする中で、「医者になっていく」んだそうです。
- やってみたいことがあるなら、それがどんな道であっても「進んでみる」。
- それが思ってた仕事でなくても、一生懸命やることで、その仕事が自分に「馴染んでくる」。
そう言う考え方もあるな。
正直、この友人からの話には結構救われました。もうちょっと肩肘張らず、自分のキャリアについて考えてみます🫣。
それでは、また次回お会いしましょう!
コメント