不健康の前では莫大な資産も無力

相変わらず、取り留めのなく、まとまりのない文章ですいません。感じたことをそのまま書きました。

体の不調

実は、ここ何週間か体調が優れず(具体的な症状は控えます)、水曜日の午前中に休暇をとって、病院受診に行きます(※この記事の執筆は火曜日の夜)。

なんと、脳神経外科💀

たぶん大事(おおごと)では無いだろうと思ってるのですが(楽観的でしょうか・・・)、この数日、当たり前だった健康」が損なわれ、「当然のように出来ていたこと」が出来なくなる自分の姿を想像することが多々ありました

そんな時に思うこと。

体の自由が利かない状態では、山のように積み上げた資産(=お金)なんて、まっっっったく意味ないし、「屁」の役にも立たない。

ぶっちゃけ、世間的には「すごいね」と言われる(であろう)資産額が積み上がってきました。けど、その事実が僕の健康を改善してくれるかというと、そんなことはない。

まぁ、厳密にいうと、健康を損ねた時に医療を受けようと思ったら当然お金がかかるので、「100%無意味」かと言うとそんなことはないのですが、

  • 「会社辞めたら●●行こう」
  • 「これくらいお金貯まったら●●買おう」
  • 「来年は●●のご馳走を食べに行こう」

と言った、「当然あると思っている将来」が急に音を立てて崩れて行く。

実に恐ろしい。

「人生、いつ何があるかわからんし、今を楽しみ尽くさないとダメだ」

言葉では分かっているつもりでしたが、やっぱり骨の髄まで理解してなかった。

・・・いや、違うかな。

そもそも、「明日が来ないかも知れない」ということを「本気で信じ込む」ことなんて、無理なのかも知れませんね👀。心のどこかで、

  • 「そうは言っても、明日の朝にはちゃんと目が覚めるやろ」
  • 「今日もこのまま無事に1日を終えることができるやろ」

と思うんですよね。

そうなると人間は、死ぬ間際に「何かを後悔する」運命から逃れられないのでしょうか?

「●●をやりたかった・・・くそ」

「●●を来年しようと思ってたのに・・・ちくしょう」

みたいな。

そんな後悔とともに、人生の幕を閉じる。

嫌だ。。。

ひょっとしたら、その将来は人間にとって「不可避」なのかも知れへんけど、少しでも「後悔を少なくする」努力を、僕は続けて行きます✊。

そう改めて決意するのでした。

どうか、大病でありませんように🙏

それでは、また次回お会いしましょう!

このブログの管理人
KoTa

生まれも育ちも関西の40代男性会社員。
妻、子ども2人(女の子)、犬(メスの豆柴)の5人家族。
家族にも仕事にも恵まれ、人並み以上の生活を送って来ましたが、人生も後半に差し掛かり、残りもとことん楽しみ尽くすべく日々過ごす様子をブログに綴っていきます。
趣味はゴルフの練習(レッスン含めて週2〜3回)と家計管理(予算通りに家計管理できることに快感を覚える)。
最後の晩餐は関西とんこつラーメンの雄「無鉄砲」。20年以上通っています。
資産運用にも精を出し、一応いわゆる「アッパーマス層」。

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関西在住中年の人生後半満喫記

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