今週火曜日(4月4日)の夜は会社の管理職仲間の歓迎会。たまたま、その中の一番「上位職者」と同じテーブルになって、その方から「その通りやな」と頷かされるお話があったので、記事にしてみました。
今回は(も?)字ばかりでゴメンなさい🙏
決めるのが仕事
その上位職者の方は言いました。
「管理職は、最後は覚悟を持って自分で決めなアカン」
ほう、そうやった。。。
僕、会社では一応管理職を任されているのですが、管理職って、そのクラスによって決裁できる範囲は異なるものの、共通するのは
「決める」のが仕事
だという事。その立場になったことがある人ならわかると思うのですが・・・決めるのってすごく大変なんです。
「はぁ❓権限あるのに、何が大変なん❓」という声が聞こえてきそうですが・・・そういうあなた、甘いです。
管理職が何かを「決める」。
数十人、数百人の部下がみんな賛同できるような判断なら、決める側も、決められる側もハッピー。ただ、そんなこと、まずありません。
大体のことは、その判断が「気に入らない」人が一定数いるんです。絶対いる。
「●●課長が決めた例の件、ちょっと違うと思います。」と部下が正面から立ち向かってくる場合もあるでしょう。このケースなら、パワーを使って説得なり説明しないとダメだけど、まだわかりやすい。
場合によっては、
- 影で「あの人の判断はおかしい」「無能だ」とディスられる
- 反対勢力が団結してボイコットしてくる
なんてこともあり、職場をコントロールするのがものすごく難しくなる。。。
そうは言っても、決裁者たるもの、組織として正しいと自分が信じることなら、反対勢力の説得もしつつ、自分が判断した事に責任をもって、やり通さないといけない。「自分が下した判断が正しくなる」ように、汗をかかないといけない。間違っていれば、判断した人の責任。
そういう意味で、決めることには覚悟が求められる。決めるって、大変ですよね。
自分の人生、自分で決めてる?
ここまでは仕事の話。自分ができてるとは全く思わんけど、まぁ考えたら「そらそやな」って感じ。
翻って、もっと身近なところでは、自分の人生。自分の人生で、何かを決めないといけない時、判断するのは誰?
それは自分だけです。
自分で決めたことの結果責任は、全て自分にある。会社の事例に照らし合わせると、これってすごく当たり前。もちろん、自分に良くないことがあった時、人のせいにしたくなること、めちゃくちゃあります。よーくわかります。
けど、それって、これまで自分が「決めてきたこと」の積み重ねによる結果なのかな、と僕は思っています。
いやいや、そんな過去のこと言ってもしょうがなくない?
その通り。
だから、未来に関する事を、「自分で考え、自分の責任で決める」ことによってしか、過去の「判断ミス」をリカバリーすることは出来ないのではないでしょうか。
「あの人に言われたから」「人がやってるから大丈夫」だと、結果が出なかった時、後悔します。
偉そうに書いてますが・・・
けど、数年前(〜学生の頃→20年ほど前か😱)までの自分は、そんなこと考えてもみなかったです。。
ただ「良い学校」に行って、「いい(と言われている)会社」に入る。それしか考えてなくて、全く頭を使ってませんでした。
ただ、会社に入って以降、きっかけは忘れましたが、ある時ふと思ったんです。
「親や友達、会社の上司や同僚は●●しろって言うけど、その結果、僕に何が起こるか、最後まで見届けて、責任とってくれるんかいな?」と。
んなわけないですよね。
そこから、結構考え方が変わりました。例えば、
- 全てを犠牲にして会社に尽くしても、会社が自分に報いてくれる保証はない
- いくら会社に評価されても、家族と過ごすはずだった時間を取り戻すことはできない
- 仕事しすぎて病んでも、会社は守ってくれない(会社は会社自身のことしか守らない)
というような感じの思考が中心です。
そうなると、だんだん時間の使い方は変わっていったし、仕事への姿勢も変わりました(手を抜くんじゃなくて、程よい距離感の確保)。
人に流されてはダメ。自分で考えて、「どう生きるべきか」を自分で決める。
100パーセントできているわけではないけれど、忘れないようにしています。
それでは、また次回お会いしましょう!
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