今回は橘玲(たちばなあきら)さんの「上級国民/下級国民」に関する書評です。
書評と言っても、僕の書評はその本自体の評価ではなくて、「それを自分の人生に置き換えるとどうか?」みたいな感じなので、「書評」ってタイトルはやめた方がいいのかな?😰
今回も、目次のタイトルを3つピックアップし、各項目で感じたこと、考えさせられたことをつらつら書き綴ります。
各章がアンバランスですいません🙏。
「持てる」ことと「モテる」こと
本書では、男と女の性戦略の違いが最初に細かく説明されています。
その違いは大雑把に言えば、子どもを産んで育てるための「コスト」に関する男女の違いから来ています。
大昔から人間は、他の野生動物のように「一夫多妻制」であって、女・子どもを養う財力・権力がある「ごく一部の男」が、多くの女を囲っていたわけです。
逆に現在の一夫一妻制は、割と最近の価値観や制度で、生物学的に言うと「イレギュラー」「不自然」なんですって。
そんな事を知らない僕は、子どもの頃からモテる男というのは「ハンサム」「運動ができる」「みんなを盛り上げる人気者」あたりが相場だと思ってました。
「運動」はまだしも、「ハンサム」「人気者」は繁殖には関係ないもんなぁ🤔。僕の理論は未熟な「子ども」時代限定なんやろか?
けど、実際社会人になってから、
「こいつモテるやろなぁ」
と思う男って、僕の理論に合致してるケースの方が多いんやけどなぁ。結婚適齢期の男女って、そこまでお金があるわけでもないし、社会的地位も知れてますもんね。
じゃあ、橘さんの説明に合う「モテる」って、いつなんかな?どこにそんな人いるんやろ?
そんなことを考え始めると、世の中で諸説ある「浮気経験者は2割」というのも、あながち嘘ではないと思い始めてきました。。。
- 30〜40代の妻子持ちが、それなりに裕福な立場になって他の「女の人」にちょっかいを出す。
- ちょっかいを出された方も、「持てる」男に首ったけになる。
と言うことなんですかね?
僕の周りには(少なくとも見える範囲では)浮気・不倫してる人はいないんですが、みんな「上手いことやってる」って事なんやろか・・・。
私の人生は私が自由に選択する
これ、割と最近の「リベラル」から来ている発想だと読んで、「ハッ」としました。
これって、当たり前ちゃうんや・・・と。
まぁよく考えたら、江戸時代くらいまでは日本も「身分社会」やったもんね。
少なくとも今を生きる我々は、今自分が置かれている状況に感謝せなあきません。
- 好きな人と一緒になれて、
- 子どもにも恵まれて、
- (就職当時は)やりたいと思える(た)仕事に就けて。
全部「自分で選択してきた」訳だけど、逆に言うと、「自分で選択してきた」その結果責任は当然「すべて自分に返ってくる」と言う事実を、橘さんは「残酷」と表現されてます。
ただ、僕は「そらそうやろ」と思います。それは僕がここ数年、全て「自責思考」でいろんなことに取り組んできたからかもしれません。
いざとなっても、
- 会社は助けてくれない
- 国は助けてくれない
- 世間は助けてくれない
- 友人は助けてくれない
ですよね。
中には「なまじいい結果が出てるからそんな事が言えるねん」というご指摘もありそうですが、そうかも知れません。
けど、全部「他責」にしてても、何にも変わりませんからね。
人は変えられないけど、自分は変えられる。
これだけは確かだと思ってます。
ベーシックインカムはなぜ破綻するのか?
橘さんは本書の中で「ベーシックインカムが破綻する」根拠を、本書の前半で説明された「男女の性戦略の違い」から説明されてます。
具体的には、もし男の中でベーシックインカムによって収入の差が完全になくなったら、純粋にその男の「(いろんな面での)魅力」のみが女の人を惹きつける要素になり、一部の「非モテ」は全く女性とペアリングできなくなり、社会が崩壊すると。。。
ここで感心したのは、その論理の整然さとかではなくて、物事を見極めるのに、色んな方面からアプローチが可能であることを示してくれた点です。
ベーシックインカムの是非に関する議論って世の中にはたくさんあると思うのですが、それを「男女の性戦略」から説明された人っているんですかね?
それぞれ専門分野が違っても、各分野から同じ物事に対する深い分析や考察ができることを示唆してる点で、めちゃくちゃ勉強になりました。
すげぇ。。。
さて、自分は上級国民、下級国民のどちらやろ・・・?
日々幸せやし、どっちでもええわ😂
それでは、また次回お会いしましょう!
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