昨日(木曜日)の夜は取引先との懇親会。
こちら側は3名、先方は1名というややアンバランスな人数構成でしたが、まぁ、何やかんや楽しく飲ませていただきました。
その中で、会話の話題が最近の「若手社員の離職」に移った途端、大盛り上がり。
先方もうちの会社も、いわゆる昔からある「古い会社」でして、そこでの文化に染まりきったサラリーマン同士の会話なので、お見苦しいところがあればご容赦を。。。
どうも先方の会社では、つい先日「退職代行サービス」を使って退職手続きを行なった若手社員がいらっしゃったそうです。
当然ながら、会社からご本人には一切のコンタクトが取れないので、退職原因が本当のところ何だったのか?を聞くことすら許されません。
それについては、「先方の会社が気の毒やなぁ・・・」と思わないではありません。
「退職は致し方ないにしても、育ててもらった恩とか、お世話になった人への義理とかを考えたら、直接会って退職を告げるのがいいと思うんやけどなぁ」
中年の僕はそう思います。
ただ、その後も会話は進み、そもそも「若手の退職って、どうよ?」と言う話になった頃には、他のお三方から、
- 「そもそも、若い子達には隣の芝が青く見えるんでしょうね」
- 「別に今の仕事だって、突き詰めて考えるとそこまで負担の重い仕事ちゃうで。こんなんで辛い、しんどいなんて言ってたらあかんで」
- 「てゆうか、転職サイトには『良いことばっかり』書いてるけど、必ずそんな好条件が保証されるなんて思われへんわ。そんな甘くないで、なぁ?」
ってな発言が聞こえてくるわけです。
もちろん、口から出まかせを言ってるつもりはないでしょうし、ご本人たちはそれが正しいと信じて発言されていると思いますが、翌日改めて冷静になってから考えると、「どうなんかなぁ?」と思わずにはいられません。
結局みんながなぜあんな発言をしてるかって、潜在意識のところで、
「自分の選んだ道を否定したくない」
と言う、ある種「バランスを欠いた」思いがあるからではないないでしょうか?
言ってしまえば、
「そんな簡単に、楽に、お金を稼げる職場があってもらっては困る」
んです。だって、そんなものがあったら、
「理不尽にも耐えてお金を稼いできたこれまでの半生は何だったのか?」
という絶望感に苛まれてしまうから。
これは裏を返すと、「自分が歩んできたキャリアに満足していない」んじゃないですかね?👀
僕は、色々あったけど、今のところ自分のキャリアには満足できていて、「隣の青い芝」を今のところ見つけることができていません。
それに、他人が「青い芝」を見つけたら、立場上求められる役割を度外視すれば、「どんどん挑戦すればいい」「そんなんが見つかって羨ましい」と思っちゃいますもん。
やっぱ、満足の行くキャリア、さらには人生を過ごすことが、他人に寛容になったり、多様性を認められる土壌に繋がっていく。
そんな気がします。
それでは、また次回お会いしましょう!
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