先週中頃から、僕の両親がヨーロッパ旅行に。
「いつまでも元気ちゃうし、いつ死ぬかわからんのやから、早めに行った方がいいで」
と散々けしかけたら、ようやく重い腰を上げて旅立ちました。
今週末までの予定なのですが、その間、頼まれたことが。。。
草花への水やり
僕の家族👨👩👧👧🐕は、僕の両親👴👵の家(=僕の実家)から歩いて15分くらいのところに住んでるので、
「旅行中、家の庭の花とか木に水あげといてな」
と頼まれたんすよね🫣。
一応、一日一回、朝にあげれば良いみたい。
「うぉ・・・面倒くさいやんけ・・・」
と思いつつ、旅行前に家族もろとも焼肉奢ってもらってたので、断るわけにも行きません( ̄∀ ̄)
「雨降ったら、行かんでもいいんやけどなぁ・・・」とか不純なこと考えてたら、見事に晴れ続き。
結局、毎日早朝の出勤前に僕が水やりに行ってます👅
ただ、毎日やる中で、想像していなかった感情が芽生えました・・・。
「世話を焼く」と愛着が湧く
僕、植物全般が苦手です。と言うか、嫌い。
なぜか?理由は、
「植物あるところ、虫がいるから」。
虫がとにかく嫌い。何考えてるかわからんでしょ??
なので、実家に住んでいた頃も、今の家でも、家庭菜園などには全く興味なし。妻がマンションのベランダで「野菜を育てたい」等と主張しようものなら、「虫湧くやんか😡」と大反対。
そんな僕が・・・この数日間、実家の庭の花やら木に水をあげ続けると、
「植物の世話っていいな・・・❤️」
なんて気持ちになり始めたから、まぁびっくり。
なんでしょうね。
世話をすると、不思議とだんだん可愛くなってくるんですよね。
これだけ手間暇かけて世話してるんやから、「元気に花を咲かせるんやで」「枯れたらあかんで」みたいなことを思い始める。
これは自分でもかなり意外でした。
誰か/何かの世話=気持ちの張り
これ、老後の時間をどう過ごすかを考える際にも、結構大事なんでしょうね。
子どもが巣立って、家庭内で何かを頑張らないといけない状況ではなくなる(夫婦、自分のことさえ考えておけば良い)。
社会的な役割についても、仕事を辞めてしまっていれば、全く求められなくなる。
要するに、「誰かのために」「何かのために」物事に取り組むということがなくなる。気持ちの張りややりがい、もっと言うと「自分の存在価値」を感じられる日常の場面がなくなると言うこと。
これ、どんどん「歳をとって行きそう」で怖いですね😱。
お年寄りが盆栽をやったりするのって、そういう面もあるんかな?🤔。
人生いつまでも、「誰かに求められている」と実感できるといいですね。
それでは、また次回お会いしましょう!
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